2015年9月22日火曜日

数学を去って行く人達

お久しぶりです。

いろいろと忙しくブログをさぼっていたら、気がついたら4ヶ月ぶりのブログになってしまった。

今回は久々に「数学を去って行く人達シリーズ」

以前にもこの人とかこの人のような優秀な人物が数学の世界を去って行った例を書いたことがあったけれど、つい最近、また天才的な頭脳を持った人物が数学を去って行った。

もう、かれこれ15年近く前、私がUPennのPh.Dプログラムに進んだ一番最初の年のこと。私のいた大学院では基本的に一年目の学生は(特別な許可でもないかぎり)誰もが履修しなければならない代数学の授業があった。難易度はかなり高めで、なによりも毎週出される宿題の量と難しさは半端なかった。

で、この授業の担当教授のお手伝いで、このゲキムズの宿題の模範解答を作成していた学生がいた。ここではMとしておこう。

そして、このMはこの時なんと、な、な、ななんと、若干19歳の学部生だったのである。

そう、19歳の少年が大学院生が受ける授業の宿題の模範解答を作成していたのだ。

私自身もこれにはさすがに度肝を抜かれたというか、その時分は「こういう人が将来フィールズ賞とかとったりもするのかなぁ」などと思ったりもしたほどである。

そんな天才数学少年Mは、当然のように某名門私立大学の大学院へ進み、某フィールズ賞受賞者の指導のもとPh.Dを取得した。

さらに、その後2年間を同大学にポスドクとして残り研究を続けた。ちなみに、以前に書いたようにPh.Dを取った大学にポスドクとしてさらに残ることは通常は許されていないのだが、Mの場合は指導教官(フィールズ賞数学者)の極めて強い推薦があり、特例が許されたのだ。

そして、その後、某名門大学でTenure Trackのポジションを得る。

が、そこでなぜか失速。

実際、Mの研究分野は私の分野と近いため、私の目から見ても、なんかちょっと失速しかかってるのは感じていたのではあるが。ここ数年特に。

そしてついに前年度、Mは数学の世界を去る決意をし、現在ではニューヨークにある某民間企業で職を得たとのこと。

ちなみに、彼の事が私の耳に入ってきたのはつい先日のことであった。この知らせを聞いいたときの私の反応は「まさかMが?」というのと「ついに来たか!」という二つの矛盾した感情が入り乱れていた。

やはり数学者への道は長く険しいものであり、その道中、誰がどう出るかなど誰にも分からないものなのである。



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